静岡県の焼津といえば漁港として全国的に有名です。その中でも、鮪や鰹を名産品として思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。その焼津を拠点とする、第二十七福積丸(ふくせきまる)が今年も極上の南鮪を乗せて焼津港に帰航しました。そこで今回は、この船の船頭を長年務める山崎一弘(かずひろ)さんにお話を伺いました。
岩手県出身の山崎さんは、「海外の景色を見てみたい」という夢と、「家族に少しでも楽をさせられたら」と、二つの想いもあり、18歳の時に焼津の船会社に就職しました。
「今年で66歳になる。うーん。ということは船に乗って何年目だ?」と、山崎さんは何年目かもパッと出てこないほどの年月を船の上で過ごしてきました。しかし、「初めての航海を終えた時に辞めようとした」と、48年前の事を話してくれました。実家に帰ろうとすると、山崎さんのお父様に、「自分で決めた仕事だろう」と、一喝され思いとどまったそうです。「漁師も2年3年と経験していくと分からないことも無くなり先輩に怒られることも減っていったよ」と、社会人1年目の壁があったそうです。まさに石(船)の上にも三年。何事も経験だと教えてくれました。
「船員が20人、その家族まで含めたら100人にご飯を食べさせてあげられるように」と、漁の責任者である船頭はプレッシャーとの戦いです。
「船頭は相撲で例えるなら横綱だから負けは許されない」と、山崎さんは言います。鮪をたくさん釣り、お金を稼ぎ船員の生活を守るという責任があります。
どんな船員が乗船しているのかを聞いてみると、「一番若い子で19歳の子がいるけど若い子達も自分の力で漁に行けるように免許取得を目指している」と、若手の躍進を山崎さんはどこか嬉しそうに話してくれました。
「船員一人一人の性格を考えて接し方を変えている」と、山崎さんは厳しく言った方が良い船員と、諭すように伝えた方が良い船員と見分けて指導しているそうです。その後も、山崎さんのお話を聞いているうちに船員を家族のように大切に想っていることが伝わりました。
19歳と最も若い船員である松本優斗(ゆうと)さんにお話を伺いました。伊豆出身の松本さんは、漁業に特化した専門学校に通っていたことがキッカケで福積丸に就職したそうです。
「いつか山崎船頭みたいな船頭になりたいです」と、ハッキリと目標を教えてくれました。理由を尋ねてみると、「山崎さんは優しいし、とにかく鮪をたくさん釣るからです」更に、「僕が初めての航海で分からないことがあっても付きっきりで教えてくれました。それでも分からないことがあったら山崎さんは僕が理解するまで実際に手本を見せて教えてくれます」と、山崎さんに対する感謝と憧れを嬉しそうに話してくれました。
そんな松本さんは、船を操縦できるように免許取得を目指しています。教え子がいつか自分の力で漁に行く日を山崎船頭も楽しみにされていることでしょう。
今回の取材を通じて、第二十七福積丸の船員の方々に家族のような絆と温かみを感じました。気が早いですが、来年どんな鮪を釣ってきてくれるのか今から楽しみです!
2023年2月 取材